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野球好き塾講師のブログ

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TOEICの勉強や西武ライオンズの雑感とか

国語の試行錯誤

1年前からこの仕事を始めた。ちょうど今の時期、他の塾の講師が書かれたブログをたくさん拝見した記憶がある。その際に思ったことが、世の中には沢山実力をもった先生がいるなあ…と。勉強になることも沢山書いてあった。自身、大学生の講師を指導する立場でもあるので、研修の資料として引用したこともある。1年前、何に悩んでいたかというと国語の指導について。セミナーなどにも参加したが、世の中に存在する塾の約半数以上は国語の指導法について頭を抱えて悩んでいる。俺もそのうちの1人だし、今でもこれでいいのかという試行錯誤を積み重ねながらやっている部分もある。国語には指導のマニュアルみたいなものが存在しないし、学年ごとにこれをやるみたいなことは決まっていないからだ。

だから、他塾の先生は国語をどんなふうに教えているのか、調べてみたいことがきっかけだったんだろうな。やっぱり、他の先生方も同じように悩んでいる部分もあった。俺が学生だったころ、働いていた塾では、その塾長がかなり国語のできる人で、教科に特化した、専用のプリントを持っていた。『これをやれば確実に力がつく』といった、数枚ほどのプリントだった気がする。ラーメン屋でいうところの秘伝のスープみたいなものなんだろう。もう何年も昔のことだから、文章の内容まで詳しく覚えてないが、問題の内容は記述問題をゆるやかなスロープを登るみたいに、だんだんと書く字が長くなっていった気がする。力のある室長は、このプリントを何度も繰り返し解かせることで、国語の成績が上がるという信念みたいなものを持っていたから、何やったらいいですか?と相談した際、とにかくこれを解かせてと指示された気がする。学生だったあの頃は半信半疑だったが、今になってその理由がようやく分かった気がする。

埼玉県立の入試問題を解く際、そのとき最も大事な力は『国語力』である。それを説明したら教室長は、それを変な形で解釈してしまい、入試数学の文章題が解けないのは国語力がないからだ。…だから国語を授業で取りましょうみたいな営業の枕詞にされ、困ってしまった。国語の授業をとったからといって、それで文章題ができるようになるなんてことはない。
俺が言った『国語力』の定義とは、要するに求められた条件にきちんと応じ、最後まであきらめずに粘り強く考える力のことをさしている。こういった力を育てるのが国語をやる意義であって、白紙の解答がどれだけ多いかで、その子の持っている国語力はある程度図れる(もちろん純粋な時間切れで白紙ということもあるだろうが)。それともう1つ思ったのだが、今の若い子たちは、こちらがびっくりするくらい教養がない。

大学生の若い講師とかと話していると、文学部なのに「本を読むのが嫌い」とか、いわゆる大学側が指定してきた受動的な読書で仕方なく本を読んでいるといった場合があまりにも多い気がする。なので、今年俺が国語を担当する生徒達には、まず白紙は禁止というルールを設け、問題がどれだけ難しかったとしても、何か書くぐらいのことはやってもらう。それから、俺が面白いと感じ、これを読めば栄養がつくだろうといった文章を読ませ、分からない語句を辞書で調べさせ、それを授業で精読し、復習として、それを20回くらい音読させるといったスタイルでやることにしよう。年間の授業を通して、決して国語のために本を読むといったことではなく,純粋に「本を読むことは面白い」と思わせられたら俺の勝ち。作文、古文、知識問題は講習の短期間でカバーし、基本読解は扱わない。そもそも、読解を短期間で習得するとというのは何か違う気もするからな。英語や社会に比べて、国語はまだ十分な実績を出せていない。今年はこのスタイルでやっていくことにしよう。それで、上手くいかなかったらまた変えればいい。俺は毎年、同じことを繰り返すような講師にはなりたくない。





by masa717h | 2016-03-10 09:44 | 指導メモ書き

by masa717h