続追悼 豊田康光さんのこと
最後に残された著書『108の遺言』において、豊田さんはライオンズのことを108番目のコラムとして最後に持ってきています。これが、どういうことかわかる人にはわかるでしょね。こちらも引用してみましょう。
『西武がプロ野球の歴史に目覚めてくれた、オレたちの帰る家ができた。』
西武が1978年に太平洋クラブライオンズを買収してから、西武の球団ガイドから西鉄関係の記録がなくなりました(ある時期からホームページには出ていた)。西鉄の本拠地だった平和台球場も姿を消し、オレたち西鉄OBは文字通り帰る場所を持たない野武士になったわけです。
そんなオレたちの帰る家ができたのですから、うれしかったなあ。2008年から埼玉西武が始めたライオンズクラシックです。西武が最強時代の西鉄の「LIONS」のユニホームを復刻して、試合で着用してくれています。そのイベントの記者発表でゆっこくされたユニホームに袖を通し、帽子をかぶったときあ少年みたいに胸がときめいたもんね。
復刻されるN(西鉄)とL(ライオンズ)を組み合わせた帽子のマークはヤンキースのN(ニューヨーク)とYの字体を参考に、実はオレが考えたんです。NとLの形に厚紙を切り抜き、ああでもないこうでもないと配置を練ったのが懐かしいですよ。選手も一緒になって。球団を手作りしていた時代でした。
しかし、あれを稲尾和久にも着せてやりたかったなあ。「おれたちのふるさとはなかばい」と言っていた我らのエース、稲尾和久にも気せてやりたかったなあ。生きていれば細い目をますます細めて喜んだはずですよ。稲尾はね、西鉄が一番苦しかった時代に監督を引き受けたのです。『黒い霧』でボロボロにされたチームを渡されて途方に暮れたはずですよ。それでも葉を食いしばって「LIONS]の名を守りました。そういう男に着てもらってこそ、このユニホームはさらに輝きが増すのです。オレたちOBもさることながら、西鉄時代からのライオンズファンが一番喜んでいるはずです。こういう昔からのファンとも決別するようなことを当初西武はやったわけですが、それもね、今考えるとまだ「黒い霧」の記憶がなまなましくて、という事情があったんでしょう。西武としては「新生」を強調する必要があった。
もう今となってはどうでもいいことです。醜いことを含めて歴史としっかり向き合い、新しい歴史を紡いでいく。それが大事なんじゃないですか。
一部のファンのなかでは、優勝できないのはユニホームのせいだという方もいらっしゃいます。しかし、こういった文章を読んでしまうと、しばらくはユニホームを変えたりなっていうのはできないだろうな。来年は西鉄の復刻ユニでいいんじゃないかななんて思う次第です。
↓豊田さんのご冥福をお祈り申し上げます。ホークス戦の2試合は彼が勝たせてくれたような気がします。
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