最下位のジレンマ
教師修行の一環として、最近富田和彦という俺が浪人していたころ、お世話になった予備校講師が書いた『試験勉強という名の知的冒険2』という本のなかに指導者へのことばという章があるのだがそのなかにこんなことが書いてあった。
…一番始末が悪いのは、教えることは教えるのだが、その背景にある本当の意図が、学習者の能力を伸ばすことではなく、「自分が正しいことを証明したい」というタイプの指導者である。こういうタイプの指導者は理屈には長けているので、一見非常に有能に見える。事実本人の能力はかなり高いことが多い。その種の指導者の最大の問題点は、指導内容を選択するとき、多くの場合本人も無意識のうちにその力点を、生徒の学力を伸ばす方向にではなく、生徒や場合によっては他の指導者に対する自分の優位性を保つことにおいてしまっていることである。その人物の作る世界は現実に極めて近いが、ほんのわずかにずれている。そのずれは指導者にしか認識されていない。学習者はその世界をなんとか受け入れようとするが、ほんの少しずつ現実とずれているので、時折その隙間にはまりこんで、決して全てを正解できるようにはならない。男性指導者、それも有能な人物ほどこういう傾向を持っている。(中略)自分の中にほんのわずかではあっても「ゆがみ」を抱える指導者は、ほとんどの場合そのことを自覚しており、したがって「他と比較されることを嫌う」。他と比較されれば、そのほころびが見えてしまう確率が上がるからだ。
…後から確認したところ、どれも問題になってるのは男性の教諭である。生徒に見せてもらった問題文を見たとき、地域でビリ争いをしているという現実から、『俺のやっていることは正しいんだ』というような声が一見聞こえるように見える。ただし、今その生徒は高校生になった今でも俺が指導しているのだが、中学と高校をつなく英語の架け橋の部分が全くといっていいほど抜けていた。理科の先生がそんな先生が多いのも全国で理科が一番できないのは埼玉県というレッテルを張られているからだろう。最下位のジレンマ、俺もこのことは半面教師にしないといけない。